
2月1日に起きたミャンマーの軍事クーデター。
ミャンマー国軍がアウンサンスーチー国家顧問や与党・国民民主連盟(NLD)の幹部を拘束し、その後、憲法にもとづく非常事態宣言が発令!国軍最高司令官であるミン・アウン・フライン将軍が、すべての国家権限を握るという事態が起きています。
現地では警察が逮捕状なしで市民を逮捕してまわったり、無抵抗の市民が銃殺されたりと各地で悲劇も!
日本にいる私達には「軍事クーデター」は全くイメージがつかないですよね。
一体なぜこんなことは起きてしまったのでしょうか??
これには、どうやらミャンマーの歴史も関係しているようで・・少し複雑な話なようです。
今回は
ミャンマーでクーデターがなぜ起きたのか?理由についてどこよりも簡単にわかりやすくまとめました!
ぜひ、参考にしてみてください。
そもそも「クーデター」って何?
ミャンマーの歴史背景などを説明する前にそもそも「クーデター」って何なんでしょうか??
なんとなく言葉は使ってますが、簡単にうまく説明できない方も多いのではないでしょうか??
専門家によると
「クーデターとは暴力的な手段を用いて非合法的に既存の権力を奪い、大きな政治的変動をもたらす可能性のある行動を指します」
「武力勢力が暴力を使って、政権を奪うこと!」ってことです。
わかりやすく言えば、「乗っ取り」
大きな意味で言えば国内の内乱というふうに捉えられますかね。
具体例を交えてわかりやすいように「会社」を例にすると、
会社のTOPは社長
その次に専務・常務など役員や部長などの管理職
更にその下に課長・係長など中間管理職
そして一般社員
専務はどうも社長が気に食わない。。で、専務に賛同する管理職・中間管理職を集めて、
社長をボコボコにして会社から追い出し自宅に監禁
そして、専務が会社を「乗っ取り」経営することに!→これが「クーデター」!
これには会社に務めている一般社員の意思は全く反映されていません。
命令・指示するTOPが変わっただけ。
まさにこれがクーデターの特徴です。
ちなみによく似た言葉の「革命」は同じように政権を奪うことなのですが、
これはざっくり言うと、管理される階級(一般国民)が結託して管理階級(政権側)の人から政権を奪う!ってこと。
先程の会社例で言うと、
一般社員が、社長や管理職が気に食わないから「変わらなければ、もう会社いかない」
「違う会社を作ろう」と全員をやめて会社倒産させたり、新しい会社を作ること!って感じでしょうか
一般社員の意思が反映され、TOPを変えるだけでなく会社自体を変えてしまった
まさにこれが革命の特徴です。
ミャンマーのクーデターには歴史が関係してる?
説明が長くなりましたが、今回のミャンマーで起きたのは、武力による政権の乗っ取り。
国民の意思も全く関係ないですから、完全にクーデターですね!
では、本題のなぜクーデターが起きてしまったのか?についてですが、
これにはまずミャンマーの歴史を紐解く必要があるようです。
順を追ってわかりやすく解説します。
ミャンマーの歴史①〜イギリスからの独立
もともとミャンマーは「ビルマ」としてイギリスの植民地でしたが、第二次世界大戦時に日本が進攻し、1942年〜1945年に日本が統治していました。日本が敗戦した撤退した後は再びイギリスの植民地となりましたが、その後、
「みんなでで新しい国を建てよう、誰からも支配されない自由で平等な国を」
と、イギリスに対して独立交渉を開始し、独立国家となります。(植民地ではなくなりました)
この中心的人物がビルマ国で国防相を務めていたアウンサン将軍、アウンサンスーチーさんの父です。
この功績もあり彼は「ビルマ建国の父」として崇められています。
しかし、アウンサン将軍は独立協定をイギリスと結び、独立まで半年!ってところで政敵によって暗殺されてしまいます。。
このころから、武力が国に影響を与えてしまっているんですね。。
ミャンマーの歴史②〜軍事政権が誕生
初代ビルマ連邦の首相にはウー・ヌが就任しましたが、独立してままならない上に、アウンサン将軍という英雄を失ったことによる国の混乱、さらにはもともと多民族による衝突の多いため、国がなかなかまとまらない。。内戦も起こっていました。
かなり国が荒れてしまっているためと、必然的に武力(暴力)を持った人々が次第に力を増していきます。
いうならば、ちょっと古いですが、漫画の「北斗の拳」の世界といえばわかりやすいでしょうか・・
「俺らに逆らうと痛い目見るから」
と、1962年、ネ・ウィンによる軍事クーデターが起こり、軍事政権が誕生しました。
アウンサン将軍が夢見ていた「自由の国」は・・一体どこへ・・
その後、ネ・ウィンは大統領に就任。1988年まで務めています。
軍事政権による、完全独裁政治。。
気に食わないものは消す!という恐怖政治。ミャンマーの暗黒時代の幕開けです。
ミャンマーの歴史③〜軍事政権への不満が爆発!デモが発生!
1962年に設立された軍事政権はなんと2011年まで約50年間も続き、
恐怖と残虐行為によって人々に自分たちの絶対的権力を誇示していました。
軍は豪遊し、豊かな生活を送っている一方で国民は貧しい生活を送っていました。
軍は政治や経済にも大きな影響を与えていて、
・憲法は停止
・政党は禁止し、国会も解散
・鎖国に近い外交政策
・高額紙幣の廃止
などを実施し、急激な経済の悪化を招き、1987年には国連から最貧国(LLDC)の認定されてしまっています
今で言うなら北朝鮮をイメージするとわかりやすいかもしれませんね。
そんな中で軍のやり方に不満を持った国民が集ってデモが発生!
「みんなで言えばきっと軍隊は分かってくれる」
このように考える人も多かったのか、デモは学生を中心に拡大していきました。、
「これ以上デモ活動されたら国を統治できないな」
と危惧した軍は、武力行使へ!
デモ活動に参加してる人を撃ってしまうという流血事態へ
「逆らうとこうなるんだよ」
とデモを武力で鎮圧させていきます。
ミャンマーの歴史④~アウンサンスーチーが国民民主連盟(NLD)を結成 自宅監禁へ
アウンサンスーチーさんは、ミャンマーの英雄であるアウンサン将軍の娘で
オックスフォードやらイギリスの 大学で 哲学や政治を学んでいました。
民主化を 叫んだ 学生たちを 政府が 虐殺している!と知り、急遽ミャンマーへ帰国し民主化運動を開始。
そして、政党「国民民主連盟(NLD)を結成します。
父親のカリスマ性だけでなく。自由と平等を愛する聖母マリア様のような人のため、みんなから愛され、
ミャンマーはアウンサンスーチーさんを中心に国がまとまるようになりました。
「あいつが国を仕切るかもしれんな」
と恐れた軍隊が、なんとスーチーさんを自宅に軟禁するという暴挙に出ました。
1988年に民主化運動に身を投じてから、軍事政権によって3度拘束され計15年間も自宅軟禁されましたが、
それでも意思を曲げず抵抗を続けたというスーチーさん。ほんとに強い意志をお持ちですよね!
この民主運動への功績が認められ、1991年にはノーベル平和賞も受賞してます。
ミャンマーの歴史④~軍がさらに力を強めるために新憲法を制定
アウンサンスーチーさんの影響もあり、民主化の流れがかなり大きくなっていったミャンマー。
実際に1990年の選挙ではNLDが圧勝!(ただ軍がこれを認めず、無効としてます。。)
このままじゃやばい!と感じた軍は新憲法を制定!
- 国会議席の25%を軍人議員に割り当てる
- 非常時に国軍司令官が国民を動員する権利を認めるなど、国軍の広範な政治介入を認めている。
- 外国籍の親族がいる人間の大統領資格を認めない
- 改憲には議員総数の75%超の賛成が必要で、一部条文の改正は国民投票で過半数の賛成が必要。
これ分かりにくいかと思いますので、めちゃくちゃ単純に言うと、
軍人議員は全体の4分の1!!何かあったら軍隊が仕切れる!っていうこと。
さらには、この愚法を変えるのも4分の3以上の賛成が必要!
と完全に軍が国を好きなようにできるための法律となってます。
ちなみに、「外国籍の親族がいる人間は大統領になれない」の記述は、アウンサンスーチーさんを狙い撃ちしたものと言われています。
っていうのも、スーチーさんの旦那さんは実はイギリス人。
ということは・・スーチーさんは大統領になれない!ってことなんですね!
なるほど、彼女を大統領にはさせねーから!ってことなんでしょうか。。
ミャンマーの歴史⑤~ついに民政化!NLDが政権へ!
長年の民主化運動と世界各国からの制裁をうけることで変に動けなくなった軍は2011年についに民政化を認めます。
その後2015年の選挙ではNLDが圧倒的な数字で勝利!
アウンサンスーチーさんが実質TOPとなりました。
とここまで見てきた通り、
ミャンマーは50年も軍事政権が続いていたのに、アウンサンスーチーさんの登場で民政化を余儀なくされて権力を少し失ってしまった。ってことがわかりましたね!
軍にとってスーチーさんは、何とかしたい!といわゆる目の上のタンコブってことでしょうか。
とはいえ、軍としては、国際社会がうるさいからとりあえず。民政化しているように見せてるだけ!で
現に、新憲法があるから、いざとなったら国民に言うことを聞かせられるし!ってハラがあったのかもしれません。
クーデターはなぜ起きた?理由は?
軍にとってアウンサンスーチーさんはうっとおしい存在であることは先程わかりました。
今回のクーデターにもスーチーさんが大きな影響を与えているのでしょうか??
一体なぜ起きたのか??理由をまとめてみます。
憲法改正される可能性があったから
2020年11月の選挙ではNLDが83%の議席を確保し圧勝!
一方で軍は惨敗。軍人枠を含めても過半数には届かずNLDに単独過半数を許す結果に。
この圧勝の背景にはある公約があったんですね!
それが「憲法の改正」。
先に説明したあの愚法です・・この憲法が変わらない限り、軍が政治に関与することを排除できませんからね。
ということは、軍としてはこの憲法が改正されると困るわけです。。完全に力を失いますからね。
で、危機感をもった軍が影響力の退潮を食い止めるにはNLD政権2期目が始まる前のこのタイミングしかないと判断し、
クーデターに踏み切った!
これが一番の理由と考えられています。
アウンサンスーチーの力にビビったから
これだけの大勝をすると軍の宿敵であるアウンサンスーチーさんの力はさらに絶大になっていくこととなります。
それにビビッて強硬初段であるクーデターを起こした!っていうのも理由として考えられます。
とはいえ、軍は現行憲法のもとで国防相や内務相を指名する権利もあり、議会の4分の1の議席も持ち、
スーチーさんによる憲法改正の提案を拒否することもできるのに、
何をそんなに??って思いませんか??
これには、軍人議員の造反者が出ることを恐れていたというのが関係しているようです。
NLDが強い民意を背景に新しい議会のもとで、さらに勢いを増すこととなれば。。
裏切者が出る?ってことは確かにありそう。
どんな組織にも「長いものに巻かれる」人っていますから。
そうなると!憲法改正も現実味を帯びてしまうってことなんでしょうか。
軍のメンツが潰されたから
ミャンマーの国民性が影響しているという説も!
ミヤンマーはどうやら「メンツ」を大事にすると言われているようです。
NLDが選挙に圧勝し、軍は再三、不正の調査を申し入れていましたが、、
実は、軍はアウンサンスーチーさんが
「確かに、選挙には不備があったのかもしれませんね、ではもう一回、選挙をやり直しましょうか」
と言って、軍の体面を保つほどの議席をこっそり分けてくれる、というシナリオを描いていた。。
だが、完全に無視された・・
軍としては「敢えて腰を低くして、表立った衝突を避け、我らに議席を譲る機会を再三与えたにも拘わらず、無下に扱われ、恥をかかされた」、つまりメンツを潰された!と考え、クーデターにつながったという話のようです。
軍も昔のような軍事政治に戻したいのではなく、いきなり弱体化するのがみっともないから、もう少しだけ議席が欲しかっただけなのに!って感じなんでしょうか??つまり本気でクーデターを考えていたのではなく、メンツを守るためにポーズでやった?ってこと??
今回の軍政は2011年まで49年間続いたものとは違い、外交政策に変更はない、と主張していたことも考えると意外と可能性はあるかもしれませんね!
まとめ
今回はミャンマーのクーデターがなぜ起きてしまったのかを過去の歴史を紐解きながら簡単にまとめてみました。
すごくまとめていうならば、「NLDに憲法を変えられて軍の力が弱くなったら困るから!」っていうのが理由ですね。
現在もまだクーデターは続いていて、一部では流血事態も起きて尊い命が奪われてしまっているようです。
一刻も早くこの異常事態を解除させるよう世界各国が協力して、平和的な解決を目指して欲しいですよね!
日本は特に、軍へもパイプを持っていると言われているので、ぜひ対話を通して事態を好転させてほしいものです。